これでいいのだ。「今夜も、もう一枚 24時間印刷店」 ドキュメント72時間
最近、立て続けに、そこそこ辛い出来事があった。一つ一つが“そこそこ”な辛さだったため、私はなかなかに参ってしまった。
大学生という年齢は、実に難しい。
みんなそれぞれの幸せを求め、それぞれに合った、いろいろな形の道を歩んで行くのだろうが、少しみんなと変わった道を歩もうとするものや、歩く姿が不恰好な者、人並みに歩くことができないものを、嘲笑うような風潮がある。幸せの形は人それぞれなのに、あたかも自分が正しいと決めつけ、自分の幸福論に他人を当てはめ、推し量ろうとする。そういう人が多い気がする。
大学生という年齢は、難しい時期なのである。
かくいう私も例外ではなく、そんな人々の物差しの上で踊らされている一人である。最近、それに疲れたのである。
さて、本題に入ろう。今回のドキュメント72時間は「24時間営業の印刷店」。
私はドキュメント72時間シリーズは大好きだが、特に好きなのはこの24時間営業、又は夜遅くまでやっている店が出てくる回だ。やはり昼間よりも夜の方が、より人間味が出ると思う。
ドキュメント72時間を見ているといつも思うが、学生よりも、大人の方が“自由”な気がするのである。
僕はまだ社会人ではないし、頭の悪い大学に通っている一回生なのだが、「リア充」や「パリピ」、「キョロ充」や「隠キャ」といったスクールカーストや、前述した学生特有?の幸福論の物差しで他人を推し量る、一種の同調圧力的なものへの理解なら誰にも負けないと自負している。もちろん社会人になっても多少なりともあるのだろうが、学生時代ほど際立ったものはないと思う。
単眼のキャラクターをひたすら描いていたデザイナーのお姉さんも、「自分が出せないから、絵で表しているのだ」と言っていた。やはり、社会にはこの“縛り”とも言える何かが存在しているのだ。
しかし、夜中に10キロ近く離れた場所から競馬新聞を印刷しにきたおじさんは、「子供を寝かしつけてからきた。奥さんも知らないと思う。」と言っていたが、とても楽しそうだった。ある種の背徳感があるのかもしれない。
この社会特有の“縛り”とは、悪いことばかりじゃないのかもしれない。
言わば、エスケープである。昼間くだらないことばかりで、悲しみにまみれても、夜に紛れて“縛り”からエスケープするのだ。自分の楽しいこと、好きなことを追い求める時間。それが夜なのだ。
最後に、一人のおじいさんが店を訪ねてきた。「自分や自分の先祖のことを書いた伝記」を印刷しにきたのだ。そのおじいさんは“生きた証”を残したくて、伝記を書いたのだという。
このおじいさんのように、人は何十年と生きても、証など残らないものだ。それはすごく悲しいものだと思うが、それくらいがちょうどいいのかもしれない。200いくらというページ数を聞いた時、少し切なくなった。
僕らは今、何をしているのだろうか。
やりたいことが、できているのだろうか。
明日は、どんなにおかしくたっていいから、好きなことをしよう。と思った。
さて次回は!! 「小笠原諸島 週に1度の宅配便」!!!ほうきになんかまたがっちゃって!!!黒猫に、ラジオなんかかけちゃって!!!ってね!!!違うね!!!
それではまた次回〜さよなら〜!!